テーマ:思い出

たまご

 幼いころ、母が1個のたまごにしょう;油をたらし、よくときほぐしそれを私たち3兄弟のごはんにかけてくれた。目分量で等分に分けてくれたのだが、あまり裕福でなかった我が家ではたまごは高級品。誰に多くいきわたるか目を皿のようにして母の手元を見つめたものだ。しかし、それが元で兄弟喧嘩をした記憶はない。貧しいがゆえに互いを思いやる、それなりの兄弟…
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古い写真

 1枚の写真がある。弟と写した写真だ。9年前に死んだ母の遺品の中に、紛れ込んでいた物である。もともと全身が写っていたのだが、下半分は破られていて、上半身のみである。汚れが付着し、折れ筋がついていて、ひどい状態であった。スキャナーで取り込んで、ペイントで修正したのが下の写真である。  この写真を撮って58年にもなるのに、この…
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蚊帳

 今夏はひときわ暑さが身にこたえる。多分、年をとったせいだろうと思っていたら、実際は記録的な猛暑であるらしい。  温暖化の影響もあるし、ことに都会ではヒートアイランド現象により、郊外よりも数度、温度が高いという。  子供のころを思い出すと、確かに今よりも涼しく、家の前に縁台を持ち出し、宵から夜にかけて世間話をしたり、将棋に興じた…
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母の男友達

 母が存命でまだ元気だったころ、40才前後の男性がよく訪れていた。何でもパチンコ店で知り合ったとのことだった。最初同居していた私達夫婦は早くに別居していたし、父もすでに死に、母は一人暮らしだった。 その男性は、たびたび果物や菓子類などを手土産に下げてきては世間話などをしているようだった。  当時、母は70才半ばになろうとする老女で、も…
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酒を飲んで溺死しかけたこと

 長男が高校生、次男が中学生のころだった。  子供もそれくらいの年になると、親と行動をともにすることを避けるようになる。  盆休みに、妻の妹家族にキャンプに誘われていたのだが、息子たちは予定があるといい、仕方なく私たち夫婦だけで参加した。  宇治の妹宅で合流し、出立する。  道路は思いのほかすいていて、琵琶湖の近江舞子に到着…
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飲酒運転で捕まったこと

 そのころ、通勤に車を使っていた。  契約した駐車場は、自宅から1kmほどの距離にあり、徒歩で15分ほどかかる。  少し遠いので、何とかならないだろうかと考えていた。  私のマンションの前に、トラックのタイヤを交換したり整備したりする工場がある。  道路に面した作業場は、大型トラックが駐車できるスペースがあるが屋根はない。  …
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口が開かなくなったこと

 長男が小学校の4年生、次男が1年生の頃だったから、25年も前になる。  この年頃はどこの兄弟もそうだろうが、何かにつけ、よくけんかをする。  ある日も、何が原因か知らないが、激しく言い争いをしている。  しばらく我慢して成り行きを見ていたが、思わずかっときて 「いいかげんにしろ!」 と、大声で怒鳴りつけた。  その瞬間、顎にガ…
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吉野家の牛丼

 リタイアしてから吉野家に行ったことが無い。  最後の値段は、牛丼並み盛りが、280円だった。  アメリカ産牛肉が輸入解禁になり、全面的ではないが、このところ吉野家で牛丼が供されることになりそのニュースをしきりと報じている。  血糖値が高く食事療法をしていて、外食もままならない昨今だが何を隠そう、かっては吉野家の大フアンあった…
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立ち飲み屋

 今日の毎日新聞の朝刊で、『酩酊八十八か所 大人の遠足(じゅんれい)』を読んだ。  立ち飲み三銃士と称する人たちの、立ち飲み屋の探索記事である。  立ち飲み屋を訪ねて、そこの立地場所や、経営者の人柄、常連さんたちのことや、出される料理など、人情味あふれる記事で心を和ませてくれる。  そこで、ある立ち飲み屋のことを思い出した…
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2回目の入院

 2回目の入院は、最初の入院から、4年が過ぎた2000年だった。  そのころ痔疾はますます悪化し、排便のたびにウズラ卵大の脱肛があり、手で押し込まねば戻らぬようになっていた。  痛みは無かったが出血がひどく、便器が真っ赤になることもしばしばだった。  入院のきっかけは、私の実弟も痔もちで、20年ほど前に手術したものの、完治する…
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最初の入院

 現在に至るまでに3回の入院経験がある。  最初の入院は今から10年前のことだった。  中学生のころから、いわゆる「痔」のけはあった。    この病は、放置すれば悪化はすることはあっても良くなることはないらしい。  最初は市販の座薬などを用いて、それにより症状はある程度緩和したが、それもだんだん効果がなくなってきた。  …
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将棋盤

 15、6歳のころであったか、あるいはもっと後だったのかもしれない。  テレビで、故 升田幸三九段の対局を見た。  プロの棋士の対局などじかに見たことはもちろん無かったし、テレビの中継とはいえ、新鮮な感動をおぼえた。  ことに升田九段の勝負に対する気迫や、真剣な表情に心を動かされた。  そしてそれが、私が将棋フアンになったきっか…
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夜回り

 今年も、後10日あまりを残すのみとなった。  しかし、昔に比べて、師走という感じがしない。  今年はことに暖冬で、この時期の寒さが無いからかもしれない。  さらに、三年余りの職なき生活のせいで、もはや師走のあわただしさを感じることの出来ぬ精神構造になっているのかもしれない。  それとも時代とともに師走の風情が失われたせいなのか…
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花電車

 「花電車」といっても、いわゆる、お座敷芸のそれではない。  今は廃止された、大阪市の路面電車が、国家的催しとか、何かの記念日などに、電車に装飾をほどこして運行したときがあった。  それを「花電車」と呼んでいた。  現在の御堂筋パレードで企業などが出している「フロート」と呼ばれる飾り付け自動車の電車仕様である。  小学生低学年の…
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夫婦喧嘩

 夫婦喧嘩で言い争いになっても、「出て行け」という言葉は絶対に言ってはならない。  これは亡くなった母の教えである。  それについては、こんな理由がある。  亡くなった父から聞いた話だが、まだ若い頃、些細なことで、言い争いになった。  「バカヤロウ、お前なんか出て行け」「ああ、出て行くわよ、誰がこんな所にいるもんか」おおすじ、こ…
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ジェーン台風

 今年は台風の当たり年で、多くの台風が襲来した。  しかし、私の住んでいる地域では、幸いにしてこれといった被害はないようだ。  私の記憶のなかで一番印象深い台風は1950年9月3日のジェーン台風である。  当時、私は5才であった。  その被害状況を今、調べてみると、死者、398名。  行方不明、141名。  負傷者、26,0…
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お月様

 幼い頃、そのような時代が私にもあったのかと、いぶかしげにも思う、はるか夢のような昔。 季節は晩秋。  時は夜。  私は伯父の肩ぐるまで畑のわきを歩んでいた。  中天には満月。  私たちが歩くにつれ、月はどこまでもついてくる。  空を見上げながら歩くと、月が自分に合わせて、あたかも動いているかのように錯覚するのだが、幼い私には…
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連続放送劇

 私くらいの年齢のかたは、放送劇(ラジオドラマ)が隆盛をきわめた頃を覚えておいでだろう。 なにぶんにも昔のことなので記憶が定かではないが、古い順からタイトルを並べてみよう。  くれぐれもお断りしておくが、かなりいいかげんである。  いわゆる連続放送劇を思いつくままに記すと、「鐘のなる丘・さくらんぼたいしょう・君の名は・お父さんはお人…
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ステレオ放送

 最近は、テレビではステレオ放送があたりまえになった。  ラジオもFMはステレオ放送だし、AMも、何年か前からステレオ放送になった。  しかし1960年代にも、ラジオでステレオ放送がなされていたのをご存知だろうか。  それはNHKがおこなっていたもので、当時ステレオ放送のシステムも、ましてやステレオ受信機も無かったので、以下の方法…
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貸し本屋

 この頃、トンと見かけなくなったものに貸し本屋がある。  今の若い人はレンタルビデオは知っていても、今風に言えばレンタル本屋なるものは知らないのではないか。  1930年頃から40年頃にかけて、貸し本文化は隆盛を極めた。  専門の出版社まであったほどである。   当時、漫画に映画のカット割のように、アップとかロングとかの手法を用…
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映画館

 かって、映画は娯楽の王様だった。  驚くべきことだがこの町にも、私の記憶にあるだけで10館もの映画館があった。  それが東京オリンピックを境に、一般家庭へのテレビの普及が急速に進み、映画産業の衰退に拍車をかけた。  徐々に客が減って、一人しか客がいないのに映写機を回したときもあったという。  経営は成り立たなくなり、今では1館…
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同窓会

 私が最後に中学校の同窓会に出席してから、もう11年になる。  誰か世話をする人が出来たのであろうか、それまでは、そんな事は無かったのだが、40才位から、ほぼ、2年おきに同窓会の案内が来るようになった。  それを見るたびに、懐かしさが込み上げて来て、皆に会いたいなと、思ったものである。  だが、みんなは、社会的に私よりもはるかに出…
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